2018年09月19日
国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であた
「だった」を「だた」と書くような凡ミスが私は嫌いではありません。
ですから、「罠に引っかかったな」という言葉を打ち込もうとして、Tの連打に失敗し、「罠に引っかかたな」と記述してしまったとき、私は、あわてて「っ」を追加することを控えて、このように「罠にひっかかたな」というミスタイプをそのまま残すことを決意したばかりでなく、ブログタイトルとして採用することになったのです。
さきほどの文末の「なったのです」を打ち込む私が「なたのです」というミスタイプをしてくれないものか、と私は秘かに期待していたものでした。ですが、結果は見ての通り、微笑を誘うこともあるかもしれない「なたのです」ではなく、整然として冷笑的ですらある「なったのです」が無事に打ち込まれています。
「なたのです」に比べて「なったのです」のなんと冷たい印象でしょうか。
「罠にひっかかったな」としっかり書く主体の邪悪さに比べて、「罠にひっかかたな」という主体には、救いがたいような愛すべき間抜けさがあるように思います。
http://adtrks.net/
ですから、「罠に引っかかったな」という言葉を打ち込もうとして、Tの連打に失敗し、「罠に引っかかたな」と記述してしまったとき、私は、あわてて「っ」を追加することを控えて、このように「罠にひっかかたな」というミスタイプをそのまま残すことを決意したばかりでなく、ブログタイトルとして採用することになったのです。
さきほどの文末の「なったのです」を打ち込む私が「なたのです」というミスタイプをしてくれないものか、と私は秘かに期待していたものでした。ですが、結果は見ての通り、微笑を誘うこともあるかもしれない「なたのです」ではなく、整然として冷笑的ですらある「なったのです」が無事に打ち込まれています。
「なたのです」に比べて「なったのです」のなんと冷たい印象でしょうか。
「罠にひっかかったな」としっかり書く主体の邪悪さに比べて、「罠にひっかかたな」という主体には、救いがたいような愛すべき間抜けさがあるように思います。
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